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12.04.13:38 不遇の天才・ケーシーストーナー |
アタシはしつこいので、また引退してケーシーねたです
「見る専」のアタシは世界GPを、東京12ch→NHK衛星と見ていました
あるときから有料放送に放映権が変わって見れなくなりました
そこから「見る専」のブランクがありました
そしてひかりTVと契約したら、また見れるようになりました
ブランク前、ロッシが王者だったのですが、
ブランク後は若手が台頭してまして、ヤマハのロレンソが王者になりました
もちろんロッシもヤマハのエースだったのですが
ブランク中、ドカティだったケーシーにチャンピオンを捕られてました
「誰? ケーシーって」 最初、そうおもいました
ドカティ&ブリジストンが速いって噂だったのでしたが
すでにホンダに移籍してたケーシーの走りを実際に見たら
ものすごくアグレッシブで、とてつもなく豪快でカッコイイ!!
一発で魅了されました
「見る専」にとって、カッコイイというのは とっても重要なんです
そのケーシー、実はスペイン移住時代 ペドロサと同期だったらしくて
ペドロサゼッケン26、ケーシーは27なのです
ブランク前、ペドロサが125ccですごく才能あるのがデビューしてきた
ところまで見てました(坂田和人さんの解説で)
そのときケーシーもたぶんいたとはおもうんですけど、まったく知らなかったです
(もしかしたら1年遅れだったのかも)
テレビを観れなくなったとき、2年目のペドロサはチャンピオンを捕り
ステップアップしてからも順風満帆で、最高峰MotoGPクラスにのぼった
ホンダのエリートでした
ところがケーシーは、小排気量時代 あっちこっちのチームを渡り歩く不
遇のライダーだったようです
しかし、ケーシーの獣じみた走りに目をつけたドカティが一本釣りをして
カピロッシのセカンドライダーとして抜擢します
ここではじめてワークスマシンを手にしたケーシー。才能が爆発します
開幕戦、絶対的王者ロッシをいきなり撃破。怒涛の快進撃で年間王者となる
ところがケーシーの憂鬱はここからはじまります
「ロッシが負けるなんてありえない」とファンもプレスも信じて疑わない
そしてプレスをコントロールしているロッシも「ドカとBSが速いんだ」と吹聴します
アプリリアでは、原田哲也選手のほうが優秀でしたが
ロッシのほうが、まわりをコントロールする能力がありました
ステップアップ後、原田選手はマシンに恵まれずフェードアウト
ロッシはホンダワークス、ヤマハワークスで絶対王者を手にしていく
チームメイト・ロレンソにはピットに壁を作らせ、データを見せなくして
自らの地位を守ろうとしていくロッシ
若手が脅威となっていくのを、プレスコントロールで優位に持っていくロッシ
かつてのロバーツのように、勝つためにあらゆる手段を講じていきます
結局、ケーシーがホンダへ、ロッシがドカティへ入れ替るような状態になり
そこでロッシ、自らメッキがはがれてしまう結果に
そこまでずっとケーシーは、才能を疑われてたようです
・ロッシは、マシンを自分に合わせようとしたがうまくいかなかった
・ケーシーは、毎週変わるバイクに自分のライディングで対応した
数々の優秀なライダーを迎え入れたドカティ
これを手なずけたのは、ケーシーただひとり
チームは知っています。ケーシーの優秀さを
ロッシがいくら口で言っても、データはウソはつかないから
ホンダ移籍1年目でチャンピオン
そして2年目で引退宣言してから、ラストシーズン
きっと、ホンダで実力を示せたこと
またドカに乗ったロッシがタコライダーだったこと
それらを証明できた時点で失った青春、普通の青年に戻りたかったんでしょうね
彼、おとうさんに無理やりオーストラリアから、ヨーロッパに移住させられて
車の中で、極貧生活してたらしいので・・・。
以下
・勝つようになってから、嫌われものにされたこと
・極貧生活時代に手を差し伸べた元ライダー・イアンニュートンの証言
La Chiricoより引用です
ストーナー英国下積み時代『トイレもないジプシー生活』 BY CHIRICO ⋅ 2012年8月12日
今から10年以上前、若きケーシー・ストーナーがライダーとしての経験を積もうと、オーストラリアからイギリスへと渡ったのは有名な話で、ウィキペディア伊語版によれば、こんな感じであります。
《幼少時代にオーストラリアでダートトラックレースを始め、41タイトルを獲得(2・4ストローク、50・125cc)したストーナー選手は、2000年にヨーロッパへ渡りスペインの『challenge Aprilia 125』に参戦し3勝を挙げ総合2位。 翌2001年、イギリス選手権に参戦し7勝で総合2位についている。同年には世界選手権125ccクラスに2回ワイルドカード参戦し、イギリス戦で17位、オーストラリア戦で12位。計4ポイント獲得で総合29位の成績により、ルーチョ・チェッキネッロチームと初契約を結ぶに至った。》
さて、そのイギリス時代について、最近のインタビューでストーナー本人がこんな風に語っておりました。
『チャンピオンの怒り:ケーシー・ストーナーインタビュー』
☆「友達もたくさんできて、良く一緒に過ごしてました。イギリスでの生活は僕にとって最後の文明的な生活でした。行きたい時に行きたい所に行けて、お店では誰とでも話ができて…みんな、英語を話していましたし。」 ☆「イギリスは自分の家みたいな感じでしたが、イギリスのファンは僕が勝つのを観るのは嬉しくなかったようです。ただ、負ければ良いのにって思われてる時に勝つのって、もっと気持ち良いもんなんです。」 ☆「僕が今みたいになるにあたりイギリスはもの凄く支援してくれた国なのに、未だに僕を嫌い続けている…どうしてなのか全く分かりません。」
その、ストーナーの楽しかったイギリス時代なんですが…衣食住的にはかなり厳しい生活だったようで、イギリス人で元ライダーで1996年よりAprilia Superteen杯を主催しているイアン・ニュートンがこんなエピソードを披露しております
『イアン・ニュートン:ストーナー一家は流浪の民、尿瓶さえない生活』 ☆「ケーシーの両親からの連絡を受けたのは1999〜2000年の冬。古いSherpaに…正真正銘の『クソ車』にマシンを積んでジプシー生活をしてたんですが、小便する容器さえなく…定住先はないって言うから、うちの庭に車を止めさせてやりました。」 ☆「時々、父親が車中で羽を伸ばせるよう、ケーシーだけ、うちに泊まりに来てました。それ以外の時は朝7時になると、朝食を摂りにドアの前に立ってるんです。初めて来た時のことは…今でも覚えてます。当時、うちではコーンフレークを全種類揃えてたんで、好きなのを選ぶよう言ってやりました。そうしたら戸棚の前に立って何か見てるんです。何をそんなにじっと眺めてるんだって聞いたら…賞味期限を見ていてね。で、古い箱のから順に食べていってました…。 この子は幼かった時、どれだけ苦労してたんだろうって、すぐに思いましたね。」
同郷のチャンピオン、W・ガードナーによれば引退理由は親父にあると語ってる
「親父にうんざりしてるんでしょ」 ・・・だそうです。。。
スターライダーの中で、ちょっと異彩を放っているケーシー
きっと、ケーシーが稼ぐ賞金で暮らしてたんでしょうなぁ・・・ヒモ親父(--)
野グソたれながら、アホ親父と忍耐の車生活の青年時代
アタシはそういう苦労人、ケーシーが好きでした
オーストラリア帰って、友達にせがまれて
ド派手なウィリー見せてあげるような、のんびりとした生活してください(^^)
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