11.23.08:34 [PR] |
07.14.11:51 伝説のマモラ乗り |
先日マモラ・レプリカ ブーツのリペイントを機に、マモラの本を買ってみた
すでに絶版になっていたけど、さすが今日のネット社会。簡単に手に入った
ケニーロバーツの著書‘RIDE TO WIN’ を買った人はたくさんいるとおもう
かくいう自分もその1人
マモラはロッシが登場するまでまぎれもなくNo.1エンターテイナーだったが
ライダーとしてあまりにも独創的スタイルのため、あまり興味がなかった
この本には自身の口から、あの‘マモラ乗り’の真実が語られていた
あれはNS500を乗るための苦肉のスタイルだったと・・・
あのクイックハンドリングのNS500は
実は「おもうように曲がらないバイクだった」・・・らしい
スズキから移籍したマモラは大いに戸惑った
それは同じくスズキから移籍した前年度チャンピオンM・ルッキネリも同じだった
もちろんその他のライダーも・・・
あれを100%乗りこなしたのはフレディーただ1人だったというわけだ
とにかくフロントが軽く、リアをドリフトして旋回させるしかなかった
マモラは、マシンをねじ伏せて進入するスタイルだったため
流れていきそうになるフロントを押さえ込むため思い切ってイン側に腰を落とし
足りない荷重を補うためフロントタイヤに覆いかぶさるようにしてコーナーリングした
・・・というのである
「NS500のシートカウル中にはチャンバーがあり幅が広く、
そのため外足が浮いた状態のまま走った」
これが世間を騒がせた‘マモラ乗り’の真実だった
彼はNS500と常に格闘していたのだ
マモラ乗りに関して質問を受けたケニーロバーツが言った言葉
「ヤツは足が短いんだよw」
・・・というご意見は、言葉が足りないが当たっていたww
NS500が勝った理由は、フレディー自身の力量だった
フレディーはホンダで3年目だったことこと、やっぱり天才だったこと
マシン自体は非常に乗りにくいものだった
これが83’チャンピオンマシンNS500の実態のようだ
フレディー自身は当時の状況をこう言っている
「1日中、マシンの文句を言っていても仕方ないだろう?」
あたえられたもので頑張るしかない・・・という意味だ
83'シーズン当初のエースはM・ルッキネリだった
最初からフレディー中心に動いていたわけではなかった
チャンピオン獲得後のフレディーは自分の意見が全面的に通るようになり
のちの85’NSR500では、フロントに重心を持たせたマシンに変貌していった
やはりフレディも乗りにくかったのだ
皮肉にもドリフト先駆者のフレディの手によって、ドリフトを使わずに曲がれるバイクに変更された
しかしそのあとのエース、ガードナーが またドリフト重視のおかしな方向に向けてしまって
ホンダは開発が迷走する。同時に、ガードナー自身もスランプに陥った・・・w
ランキング2位が4回
マモラは勝てるバイクがあれば間違いなくチャンピオンになれたライダーだったけど、
ホンダの流れは完全にガードナーに向いてしまい、マモラはカジバに移籍した
マモちゃん、時は流れても アタシは君のこと忘れてないよ
あのド派手なウィリーやジャックナイフが、もういちど見たい・・・
【NS500と格闘するマモラ】
【一般人みたいなことするマモラ】
* * * * * *
レッド&カーボン: http://carbon.art-studio.cc/ click please!!
PR
無題
2009年07月14日火
あらためて見ると凄いねー。
外足荷重ナッシング。
おらには真似できません。
ってか、マモラレプリカだったんだ、あのブーツ。
ライダ~
2009年07月14日火
昔は個性的なライダーが多かったよね
私の一番のお気に入りのライダーは
バリー・シーンでした
バリー
2009年07月14日火
ドナルドダック7でふね
バリー・シーン
2009年07月14日火
ありがとうございます。
それがわかるレッド&カーボンさん
あなたはえらいw
ふむふむ。
2009年07月14日火
ほんとだぁ。
ヘルメットにドナルドが。
あはっ♪
ドナルド
2009年07月14日火
なんでなんでしょうねぇ・・・
スペンサー世代
2009年07月15日水
のワタシには、みんな露払いに見えたモンでしたw
当時、一瞬でもスペンサーの前を走ったやつはギャラン・ドゥ・ハスラムしかいなかった時代でした・・・
あんなブクブク太りやがって!
ファンの夢ってモンがあんだろうがw
スペンサー
2009年07月15日水
栄光から転げ落ちる様がすごかったっす・・・ね
- トラックバックURLはこちら